今日は着付け教室の催事のお手伝いでした。
お天気はお昼から雨。正絹の着物は水や汚れに弱く、着物用のカッパは買ってあるけどこの湿気と暑さ。当然着たくない。帰りだけならともかく行きもとなると、正絹の紋紗を着て行くのは避けたい。
盛夏の近江縮の薄物はあるけれど水色で、ちょっと季節先取り感が強い。外が晴れ晴れと夏空を主張していたら堂々と着て行くんだけど、生憎じめじめとした梅雨空。
6月中旬、季節の変わり目。着る物も変わる時期。
さて、手持ちの着物の中で何を着て行こうか。
お手伝いに応募して、雨予報が出た時から頭を抱えていました。
そこで取り出したのは唯一持っている木綿着物。
つまり綿の浴衣です笑。
下には長襦袢を着て、博多の名古屋帯を締めて、洋服用のポンチョの羽織を羽織ってしまえばあら不思議、ちゃんと着物を着てる人っぽく見える。
いや、目の肥えた着物好きには一目でわかるんですけどね笑。
綿には絹の様な艶がないし、衿はバチ衿だから特有のふんわり感はないし、着ているのはプチプラと呼ばれる価格帯の浴衣だし。
でも雨と暑さの前に敗北しました。
正絹着物正統派ど真ん中の着付け教室の催事に木綿着物で堂々と行く暴挙に出ました。
何か言われたら正直に言うつもりで、いざ、お手伝いへ。
就職してからずっと同じ病院で働いていたので、お手伝いとはいえお店のお仕事は新鮮でした。
例えるならば昔の職業体験のような感じ。
お客様に当てた反物、仮縫いされた訪問着、袋から取り出した帯、帯揚げ、帯締め。
お客さんの立場でしか見たことなかったけれど、確かにコーディネートをするのに置いていた場所に綺麗に戻す時間も、散らからないように整える時間も、直接接客している方々にはないものね。
買わないものを戻す時間なんてお客様には関係ないし。待たせる時間は少ないに限る。
教室の端で畳んで、まき直し、せっせこ整え。
普段は触らない布に触れると、買わないし買えないけれど気分は上がる。
柔らかいもの、しゃりしゃりするもの、見た目以上にふわふわしているもの。見た目以上に軽いもの。見た目通り重厚感のあるもの。ちらっとこそっと値札なんかも見ちゃったりして。次買うならあれに似たような着物がいいななんて想像もしながら。
でも、自分はやっぱりスタッフではなくお手伝いに過ぎません。
膝をついて色々やっているだけでも、皆さんお礼を言ってくれるんですよね。
それがなんかもう嬉しい以上に恐れ多いんです。慣れないというか。
自分の職場で同じことをしてもお礼は言われない。見られない。もちろん誰かに感謝されたくて整える訳じゃない。
自分以外の人も使う場所は最低限整える。ただそれだけ。どこに何があるか一目でわかれば、作業効率も全然違う。自分だけだったら自分だけが使いやすければいいんですけど。
お客様が目にするのならば尚更。綺麗に商品が整えられているお店と、誰かが触った後がはっきり見えるお店と、どちらが気分よく買い物ができるか。
お客様目線はもちろん必要だけれど、自分たちが気持ちよく仕事ができるようにっていう視線も、無くしてはいけないよなぁと改めて実感。
ひとり浴衣を着ていた自分がどう思われていたかはもう気にしない。
次はちゃんと雨でも着られるものを用意するので嫌わないでーって思ってます笑
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