大切な人の死は別れではなく新しい関係の始まり

つぶやき
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葬儀の際に言われた言葉が胸を突いた、台風が過ぎ去った晴天の日。

何時ぶりだろうかと思うほど涼しくカラッとした朝。

まだまだ残る酷暑の日差しの元、祖母は向こう側で待つ祖父の元へ旅立った。

たくさんのお花と、お弁当とお菓子を持って。二人で食べられるように、お箸も二膳。お茶も忘れずにね。

田んぼの近くの家の賑やかなカエルの声も。

優しい味の親子丼も。

何度も連れて行ってもらった市民プールも。

今ではもう全部、思い出の箱の中にいれてしまったもの。

その一方で、祖母は箱の中に入れたことも忘れてしまっていたけれど。

最期のお盆が終わったころ、今会いに行かないと絶対に後悔すると衝動に任せて電車に乗った。

祖母の着物のおかげで楽しく続けられている着付け。そのことを伝えたくて浴衣で。

職業柄、人の最後の姿は想像できるから何を見ても驚かない自信はあった。

置いて行かないでと。

一人にしないでと寂しがり、眼を閉じたまましきりに不安を口にしていた祖母。

あの日は雷とゲリラ豪雨が私を迎えに来た。

祖母が逝ったあの日の天気は何だったか。

それよりもきっと、今日の日の天気を私は覚えている。

あの夜は祖父が迎えに来たのか、時が来たと向こう側から呼んだのか。

あるいは、祖母が待ちきれずに向こうへ行ったのか。

本人だけが知るところではあるものの、どこへ行くにも一緒に行動していた二人。

きっとまた二人、並んで歩いているんだと思う。

祖父の時は傍にいてあげられなかったからと、きょうだいと共に祖母の最後のひと月を一緒に過ごした母。

笑顔の遺影に「いい写真だね」と言った言葉に返すように、抱えた遺影を見てぽつりと一言「いなくなっちゃった」と零した。

たぶんそれは、隣にいた私にしか聞こえなかった言葉であり、

隣にいた私にしか聞かせるつもりのなかった言葉でもあったんだと思う。

故人を想う感情とは別に避けられない現実的なアレコレ。

珍しくそんな話をしてもイライラ感情を表に出さなかった父。

家族の関係性は年齢を重ねても変わらないけれど、年齢を重ねると向き合わなければいけないこともある。

だからこそ自分の意思でちゃんと決められるうちに、自分で決めたいことだけは決めておいてと。

私の言いたいことはそれだけ。

いまの感情を整理したいとか、

今日の日を覚えていたいとか、

大層な理由なんてなくて。

認定試験の前日、利便性という理由だけで普段は泊まらないようなグレードのホテルで。

家にいるようにコンビニで買い物をして温めてくるのを忘れて途方に暮れて。

電子レンジの似合わないホテルのフロントで温めをお願いして。

一人帰った部屋で「いなくなっちゃった」の言葉が思い出された。故人と築く新しい関係のことも。

大切な人の死は自分の生であること。

大切な人の死はまた別の大切な人の生でもあること。

死を見ることで見えてくる自分の生。

長い時の中で変わっていく人々の考え方のこともお話してくださった。

昔は人の死は穢れとされていました。

ですが、あなたの大切な人の死は穢れですかと。

なんとなく、今日のことを文字にしたくて。

文字にしている間に流した涙は棺に眠る祖母を送った時の非じゃなくて。

ようやく祖母が「いなくなっちゃった」ということを感情が理解し始めたのかな、なんて思ったり。

私が歩む着物道は祖母の着物と共にあります。

姿の見えるところから、

声の聞こえるところから、

触れられるところからは「いなくなっちゃった」けれど。

全然、まだまだ、お別れではないですね。

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