着物を着るきっかけ その1

つぶやき
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親戚が看護師だったから。就職先に困りたくなかったから。そんな理由で選んだ看護師の仕事だった。

本当にこの仕事を続けられるのか。定年まで働けるのか。

その不安が漠然と生まれ始めたのはコロナ禍に入ってからか、不安が生まれてからコロナ禍になったのか。今となっては定かではない。

高い志を持って選んだ仕事じゃない。

胸を張ってこの仕事をしていると外で言えるほど、自己研鑽はしていない。

自分がこの仕事を定年まで続けられるほどのモチベーションを見つけられていない。

そんな不安を抱えたまま、目の前の仕事に自分なりに必死に取り組んできた。

直接コロナの患者さんに関わる病棟ではなかったけれど、スタッフも物品も何もかもが足りなかった。エプロンの代わりにゴミ袋を被り、フェイスシールドの代わりにクリアファイルを使い、マスクはアルコールを振りかけて使い回して。

汗だくになってへろへろになって、それでも最低限いつものルーティンのケアは行って。もちろん時間なんて見てられなかった。遅れに遅れて、それでもやらなければいけないから何時間遅れてもやって。

そんな中で有難みを実感していると言われるのは、閉鎖されて病棟や病室に入ってこなくなった他職種の人。

感謝して欲しいと思って仕事をしていたわけじゃない。それすら思う暇なく動き回っていた中で、それでも胸に刺さるものはあった。自分たちのことを当たり前に思ってくれているという喜びを感じる余裕なんてどこにもなかった。

次の日が休みだと気が抜けてお風呂を入るのも疲れてできなくて。ご飯も義務のように食べて、休みも体力を回復させるための日。家と仕事場の往復の毎日。外出はスーパーのみ。必要なものを買いにたまにショッピングモールへ行くだけ。症状が出ただけで職場を休まなければいけない状況で、外出して症状が出たなんて言えない。同居家族のいない独身だったから特に。もしもの時、濃厚接触者にならないように家族とも会わなくなった。

テレビをつければ深刻な顔をして今日の感染者数を報告するアナウンサーがいた。でも次の瞬間人が変わったように明るくオリンピックの話。go to トラベルの話。

すべてが別の世界の話だった。

唐突に涙が出ても疲れてるだけだって自分に言い聞かせて、こんな時でも仕事があってお給料がもらえている。自分は幸せなのだと、そう思うようにしていた。

そんな中、職場の人に紹介してもらった人とお付き合いして、結婚もするつもりで同棲もした。でも彼の住所は実家のままだった。理由は面倒だったからって。

わかる。わかるよ。こっちはあなたと住むためにそうしたから。でも、その手間も惜しんだあなたにとっては、私と住むことは面倒なことだったってことだよね?

自分の思考が飛躍していたのは自覚していた。だからそんなことは言えなかった。

言えなかった歪は徐々に大きくなった。一緒にいても自分が自分でいられたはずの空間は苦しいだけの空間になった。それはお互いにわかってたから二人で直そうともした。でも、話し合ってもその歪みは直せなくて結局彼とは別れた。

彼が部屋を出ていくとき、彼の顔を見ることができなかった。

本当に彼が好きだったのか自信がない。仕事に疲れて、ひとりが寂しくて、一緒にいてくれる人が欲しかったのかもしれない。

家具が半分運び出されて広くなった部屋を見て思った。

このままじゃ何も残らない。ちゃんと自分を大切にしよう。やりたいこと、ちゃんとやろうって。

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